裕子先生のストーリー


白雪姫にあこがれて

幼稚園の時、お姫様のようなドレスを着ることにあこがれていました。
幼稚園の学芸会で白雪姫の役を決める時、「ドレスが着れる!」とじゃんけんに参加して負けました。

家に帰りドレスが着たい私は小さな頭で考えました。どうしたらドレスが着られるか。

そしてピアニストになるんだと思ったのです。
幼稚園のお友達と一緒にヤマハ音楽教室に入会しました。

グループレッスンから個人レッスンに

そのころのヤマハ音楽教室は幼児科しかありませんでした。
幼児科を終了した私はそのままヤマハの先生の自宅でピアノの個人レッスンを受けることになりました。

当時、土曜日がお休みだった父がレッスンの付き添いをしてくれました。
グループレッスンは楽しかったのに、個人レッスンはとにかく怖く、怒られてばかりで毎回泣いていました。

小学校の先生

レッスンでは怒られてばかりでレッスンが楽しくなかったのですが、小学校の先生でピアノが好きな先生がいて、
よく放課後に音楽室でグランドピアノを弾かせてもらいました。
どんな曲を弾いても「すごいな~」「良い曲だね~」と褒めてくれました。
その先生の承認がなかったら、私はピアノを辞めていたかもしれません。

中学高校は

音大付属中学を受験するために、
さらに上の先生を紹介され、さらに怖いレッスンに通いました。
入学した後もその先生の個人レッスンを受けていましたが、
怖さのあまり委縮するようになり、
だんだんレッスンが嫌いになってきました。

そしてウィーンへ

このままレッスンをあと4年うけるのに耐えられず、
高校卒業後18歳同で単身ウィーンへ行きました。

どこにいっても同じレッスンならそれで
あきらめようと思ったからです。

ところが、ウィーンでもザルツブルグでも先生は聞いてくるのです。
「どう弾きたいの?」「何を表現したいの?」「なぜそう弾くの?」
今まで、レッスンでは教えてもらうだけで
自分で考えることもしなかったのでこの質問は衝撃でした。
ウィーンで師事したパンフォーファー教授からは
とくにバッハのレッスンをたくさん受けました。
バッハの演奏についてのこだわり、バッハ基礎を徹底して教わりました。
また、真逆の近現代曲もバルトークやヒンデミットの作品も数多く学びました。
ザルツブルグのノイミュラー教授からはモーツァルトやシューベルトの曲から
脱力のしかたを教わりました。

毎日、オペラ、バレエ、コンサートに行き、ヨーロッパの音楽の空気をたくさん吸ってきました。

ヤマハ、結婚、そして第二の師匠

帰国して、ヤマハ音楽教室で幼児科ジュニア科専門コースを担当。
7年間で200人以上の生徒を指導しました。

ヤマハ時代に音楽教師の再教育塾で「豊かな教師力の養成」している土田京子先生のもとで
楽曲アナリーゼを勉強しなおしました。
土田京子先生からは和声学のことだけでなく、
日本の芸能から人生のことまでいろいろなことを教えていただきました。

結婚、ヤマハ音楽教室退職、子育ての後、
2008年に飯能市山手町の自宅でピアノ教室を始めました。

そのころ、国際コーチ連盟で、
プロフェッショナル認定コーチである青木理恵コーチのセッションを5年受講。

その後、青木コーチの紹介で多喜靖美先生に出会いました。

ピアノレッスンの再開

多喜靖美先生を紹介していただいたものの、
ピアノのレッスンを受けることに抵抗がありました。

日本では怖いピアノのレッスンの記憶しか無かったからです。

レッスンをお願いする前に一度そっと多喜先生のコンサートに行きました。

多喜先生のピアノの音とそこからあふれ出る音楽は
私の「レッスン恐怖」を払拭するくらい、魅力的でした。
どうしたらあんな音を出せるのだろうと。

それからお亡くなりになるまでの10年、
明るくなんでも受け入れてくださった多喜先生に
エコ奏法と拍子の奏法を教わりながら、
ステップなどのステージでの演奏、室内楽のレッスン、
指導者検定を受験などたくさんの気づきと学びの時間を過ごしました。

子どもたちに同じ思いをさせない

私が小さいころ習った怖い先生も、
今、思えば私のことを思って怒って叱ってくれたのだろうと思います。
でも私には伝わらなかった、そんな経験から私は
「ピアノは好きだけどレッスンはきらい」「怖いから嫌」というレッスンで
子どもたちの心が音楽から離れていくのは寂しいことだと思いました。

地域のピアノ学習者のために

そこで、私の教室の生徒さんだけでなく、
飯能の近隣のピアノ学習者にステージの場を作るとともに
近隣のピアノの先生方と一緒にピアノや音楽の素晴らしさを経験するチャンスを
作れないかと考え始めるようになりました。
2014年、世界でも最大規模のピアノコンクールを開催し、
ピアノ指導者の全国組織である全日本ピアノ指導者協会(通称PTNAピティナ)の
飯能ステーションを設立しました。


ステーションの代表となり、
2015年より、毎年6月に飯能市市民会館にてピティナピアノステップ飯能地区を開催。
飯能独自の特別企画「布芝居とピアノ演奏」などを入れて、
つねに定員オーバーの人気の地区となっています。
私自身もステージでの演奏を続けています。
ピティナピアノステップ継続表彰25回を受け、現在参加歴28回です。
近隣のピアノ指導者の先生方と
教室の枠を超えてコンクールのためのリハーサル会、
公開レッスン開催を中心に課題曲研究、指導研究を続けています。

教室では

ザルツブルグで学んだ脱力、多喜靖美先生のエコ奏法、
つねに和声の動きを感じさせるように指導しています。 
発表会ではバイオリンとの室内楽、お話にピアノ曲を付けるなどの企画をやりながら、
ピアノを1人で練習するだけではない世界を経験してもらっています。

また秋のお勉強会ではバッハの作品を必ず演奏してもらいます。

そして、ステップ、コンクールなど前向きにチャレンジしていく生徒さんが多いです。

生徒さんや保護者の皆さまからは
「いろいろなことを教えてもらえて楽しい」
「たくさんのチャンスを用意してくれている教室ですね」
「バイオリンと合わせて弾いた経験が合唱の伴奏に活かせました」
という感想を頂いています。

実績・経歴

全日本ピアノ指導者協会 指導者会員
ピティナ飯能ミュジークフォレステーション代表
2015年より飯能ステップを開催
ピティナ指導者ライセンス 中級
ピティナピアノステップ参加 
2012年に10回、2012年に15回、2014年に20回、2018年25回の継続表彰。
ヤマハピアノ演奏グレード、エレクトーン演奏グレード、指導グレード習得
所沢バスティン研究会2008年~2013年まで所属
HANAMIZUKI文化協会審査員特別講座受講修了 2013年8月
図書館協議委員委員長兼議長
図書ボランティア「ことのはの森」代表

生徒さんのコンクール実績

ブルグミュラーコンクール 金賞、奨励賞
大阪国際音楽コンクール第4位
グレンツェンピアノコンクール銀賞、銅賞
日本バッハコンクール奨励賞